2012年2月23日木曜日

メルボルンで確認も行ってみませんか?

タコ社長,オーストラリア・メルボルンのスローライフな日々 - 楽天ブログ(Blog)

「大丈夫だよ、インド人は海外に出ると結構牛肉を喰うから。」
阿川部長がそう言った。サラリーマン時代、インドからの大事なお客様をすき焼きでもてなすことになった。インドはヒンズー教の国で牛は宗教上崇められている。だから勿論、事前に確認は取っておいた。建設機械メーカーの海外営業に勤務している頃の話で、調度30歳になった頃だった。

結局インドの担当は脱サラするまで続いたから、7年ほどやったことになる。インドへの出張も3回あったが、現地では牛肉を食べることはほとんどなかった。一度だけ、イスラム教の人が経営するステーキハウスに連れて行ってもらったが、どうにも落ち着かなかった。

椿山荘でのすき焼きは問題なく終わって私もほっとした。部長と課長と担当平社員の私の3人での接待は無事終わった。

「お手紙ありがとう。メルボルンで元気� �やっているようで安心しました。」
何年か前に阿川部長に手紙を出した時、すぐに返事を頂いた。
「仕事の方も順調のようで何よりです。それにしても、相変わらず字が下手ですね。」
歯に衣着せぬ部長の物言いは相変わらず健在だった。

「実はね、貴方には言わなかったけど、仕事でメルボルンに行った時に、いろいろ家を見て回ったりしたことがあったんです。移住を考えたりしてね。」
会社を辞めると言い出した時に、ダメだと言って引き止めてくれた部長が、海外移住を考えたことがあったと初めて知った。

それにしても、100キロ近くあった頃の話で元相撲取りとか言っていたのが思い出される。

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生まれて半年で、東京の練馬区向山町という所に引っ越した。戦前からあったという四畳半と六畳二間が二軒繋がっていて、それが6棟でワンブロックを成していた。窓ガラスなんかは強風が吹けば割れてしまいそうに薄く、木造の外壁は薄黒く頼りなく立っている。ここの約14年間住んでいた。

家から5分もしないところに、細長い木造の平屋の古い建物があった。そこに、かりん糖工場があった。以前は、石綿工場だったという。考えてみると、民家の側に石綿工場があった訳で、健康被害とかもあったのではないかと思う。欠けて売れないくなったかりん糖を買ったのか只でもらったのか、食べた記憶がある。

この工場の横にバラックのような家が数軒あって、その内の一軒には金君が住んでいた。彼は在日朝鮮人で、学� �は私より1学年上だった。金君は底抜けに明るい大柄な生徒でよく一緒に遊んでいた。

金君の家の裏には木造の二階家があって、その二階の小さな部屋に「くず屋さん」一家が住んでいた。名字などは分からず、私たちは「くず屋」さんと呼んでいた。夫婦でよくリヤカーを押して仕事に回っていた。


アナハイム、カリフォルニア州で何をすべきか

風采の上がらないオジサンに比べ、この「くず屋」さんのオバサンは、目が大きく体型もしっかりしていてなんだか色気のある人で、いつも不思議な夫婦だなと子ども心にも思っていた。体にぴったりとした赤の原色の薄汚れたワンピース姿でオバサンはリヤカーを押していた。しかし、その内この夫婦は居なくなっていた。

学校に上がる前から小学校低学年の頃の話だ。どの家も本当に貧しかったから、貧乏が全然気にならかった。

兄が日本からのお土産にかりん糖を買ってきてくれた。昔のかりん糖はもっともっと硬かったような気がするが、今のかりん糖はサクッとしていて食べ易く味も軽い。

かりん糖は、見るだけで私をあのその 日その日を唯生きていた頃に引き戻してくれる。

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「子イカはハンサムボーイだと思っていたけど、お父さんのイカさんの方がずっとハンサムですね。」
来豪中の兄夫婦とその息子と私の4人で馴染みのタイレストランに行ったとき、オーナーのタマサクさんがそう言って皆を笑わせた。子イカは、私の所で働いてくれていてメルボルンにずっと住んでいる。

「こういうジョークがさっと出て来て、場を盛り上げるのが上手だね。」
日本語に訳して何と言ったのか兄に伝えたとき、そう返事が返ってきた。

兄夫婦を、オランダ系の連れ合いの家族、隣近所の人たちや友人に紹介した。どこへ行っても笑いが絶えない本当に楽しい時となった。

「でもね、写真を撮る時に変わるわね。」
連れ合いが、私と兄が写真に写る時笑顔がなく口角が落ちてムッとした顔になると指摘した。連れ合い曰く、怖い顔になると。

自分では精一杯笑顔を作っているつもりでも、長年不合格の域に留まっているようだ。こういうことは、周りから言われると助かる。しかし、いつも言われ続けると閉口して余計ムッとなってしまう。

とはいえ、ガンガンと楽しいことがあれば自然と顔が緩んでくるのだろう。それでなくても、齢を重ねあっちこっち緩んできているのだから。

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キーウエスト、キーウエストにある何をするか?

拭いようのないコンプレックスが詰襟を着ているような高校生だった。前年度からスタートした都立学校群制度で、隣の立川高校と一緒に72群となった国立高校に入学した。は昭和43年のことだった。

見るからに三多摩の田舎者としか見えないような学友が多かったが、これが右を向いても左を向いても秀才揃い。中学時代英語は好きな科目だったが、まだ習ってもいない分詞構文なんてのをすらすらと説明して、教育実習の女子大生を喜ばせるなんてのは朝飯前の学生がいる。塾なんか一度も行ったことのない私は、周りで何が起こっているのかも分からない。もう完全に劣等生。

「タコ君は、英語の発音なんか私より上手でビックリするんですが、テストをやるとこれがまったくダメで。」
担任の石黒先生に、父母面接のときに母がそう言われたと肩を落としていた。そりゃそうだよ、何せ初恋が9歳の時のアメリカ人、何て言える雰囲気もなく学校はテストができてなんぼの世界、私は英語に対する興味を一気に失ってしまった。但し、英語を話す金髪の方々への興味は募る一方ではあったのだが。

「今、何て言ったの?」
オランダ系の連れ合いにたまに話す英語の発音が悪いと言われて久しい。今は、テストもダメ、発音もダメの領域に突入してしまっているようだ。金髪ゲットしてしまったもんで、気が緩んでいるのでは、何て言われてしまいそうな勢い。

ということで、今日本人に人気のフィリピン留学、中高年英語+ゴルフ、とかの集中コースもあるようで。何せ安いしマンツーマンだという。そう言えば、手前味噌になるが自分の会社の商品でもある。こうなったら、フィリピン中高年留学に参加して、昔とった杵柄発音ブラッシュアップにでも勤しんでみるのもいいかも知れない。

因みに先生は金髪ではなく黒髪だということで安心もしていられそうだし。

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「日本語教師じゃ、男性は食べていけないわね。」
広尾の日本語学校で教え始めたある日、近くの弁当屋で買った温かい弁当を食べていたとき先輩の長野先生がぽろっと言った。

「そうですね、まだ日本語教師って仕事、認知されていませんね特に男の仕事としては。」
1985年の1月のことだった。私は、その半年後にはオーストラリア移住を目指して旅にでることは、まだこの学校では誰にも話していなかった。入ったばかりだったこともある。

マンションを改造して小さな日本語学校にした所で、本当に経営も厳しいようだった。私はこの学校で毎日クラスを受け持つことになった。各教室が小さいので、一番大きなクラスでも生徒は6人までだった。2人というクラスもあった。そんな訳で、生徒とはすぐに親しくなれた。


サンズカジノは、ベツレヘムために何をしてくれるか

「そう、オーストラリアに移住するの、それはいいわね。おめでとう。」
オーストラリア行きが正式に決まった時、先輩の長野先生に伝えたら本当に心から祝福してくれた。でも、その時は、まだ永住できるかどうかもまったく分からない、観光ビザでの渡豪だった。体中で不安という服を大きく着て歩いているような時だったが、不思議と心の中からは「必ず移住できる」という叫びが聞こえてきていた。根拠も裏打ちもまったくないのに、不思議な叫びであった。

「タコ先生、先生はオーストラリアで必ずいい先生になりますよ。」
アメリカのニューヨークから来ていたジョンという好青年がそう言って励ましてくれた。彼は、モルモン教の信者を彷彿とさせるようなクリーンカットの青年で、よく3、4人で飲みに行ったりしていた内の1人だった。でも、こういう一言が励みになった。

この学校で半年近く程教え、日本語教師としてやっていくある程度の自信が少しできたのは本当に大きなことだった。

しかし、実際には日本語教師として永住権を取ることは、当時の私にとっては不可能に近いことが豪州入りしてまもなく分かった。お先真っ暗になってしまったが、あの不思議な心の叫びだけは相変わらず聞こえ続けていた。

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「イカはね、赤ん坊のときよく女の子に間違われたんだよ。タコは、そういうことは一度もなかったね。」
喜んでいいのか悲しんでいいのか、私はいつも男の子と見られていたとのこと。

学年でいうと3学年上の兄と私は仲がいい。日本に帰るといつも二人で飲みに行く。ただ、ちょっと困るのは、一度は止めたタバコがヘビーなのだ。昔は、私も会社で周りの人が吸っているのは全く気にならなかったが、オーストラリに来てからは、どうも受け入れられない。こちらの家族、友人でも殆ど吸う人がいない。

その兄が、明日メルボルン入りする。しかも、生まれて初めての海外旅行だ。この国に25年以上いるが、両親は来たことがない。父は昨年他界したし、母は足が弱ってきている。
そんな訳で、兄が来てくれることはこの上ない喜びだ。

両親にしても兄にしても、私が勝手にオーストラリアに移住したことに何の文句も言わなかった。本当に嬉しかった。

メルボルン、あまりハードなスケジュールにすることなく、ゆっくりと生活を見て欲しい。但し、喫煙家の住み難いオーストラリア、この機会を禁煙の足がかりにして欲しいと願っている。

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「バレンタインの日には家内に花を届けます。」
奥さまの職場に送るそうだ。大山さんはそう言ってニコッとした。日本人の奥さまは日系企業に勤めておられるが、クリスマス、誕生日、結婚記念日、バレンタインデーには必ず花を贈っているそうだ。実に見あげたものだ、なんて感心している場合ではない。今日はバレンタインデー。

ということで、今朝会社の女性スタッフにはささやかなチョコをプレゼント。オーストラリでは、というより世界ではこの日男性から女性にプレゼントする日。日本は、この件に関しても特別な国。

私は、3年に2回くらいオランダ系の連れ合いに花を買っている。特別な日ではなく、普通の日。その方が反応が大きいように思えるので。

ところが今日は何も買っていない。そこで、今日は連れ合いがいつも使う安上がりな手でいこうと思� �。

「私が貴女へのプレゼントです!」

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小学校5年の時に父がトランジスターラジオを買った。もっぱら私が風呂場とかトイレまで持って入って、ビートルズなんかを聴いたりしていた。その頃のトイレはくみ取り式だったから、調子の乗って落としたりしなくてよかったが。

当時、どういう訳かヨーロッパの、特にイタリア、フランスの歌が大流行していた。正に国際的だった。イタリアでは、ジュリオラ・ティンクレティー、ミーナなどが流行っていた。そして、男性歌手でものすごい甘い声のボビー・ソロがいた。彼の「ほほにかかる涙」には惚れこんで、分からないなりにもイタリア語で少し歌ったりもしていた。

基本的には、女性歌手の歌に惹かれることが多かった人生だが、このボビーの歌は別格だった。ソフィア・ローレン、ジーナ・ロロブリジダ、クラ� �ディア・カルディーナーレの強烈路線の延長線でイタリア語を勉強したいと思ったことがあった。高校生の時だった。動機がいかにも不純だったが。

でもその伏線は、ずっと以前のカンツォーネにあったのかも知れない。このYou Tubeの画像を見ていて、そういう思いが強くなってきた。

リタイヤ後は、イタリヤ語に挑戦してみたい気もしてきている。

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